此処は世の最先端の技術の結晶たる近代都市―――『第三新東京』。その、西の外れ。
蹂躙され、かつてはビルであった瓦礫の山に囲まれて、地下へと続くその階段はひっそりと・・極めて慎ましやかにその存在を誇示していた。
破壊の嵐が吹き終わり、燦々たる有様を呈す街並みの中、その一角だけは掃除する者がいるのか、綺麗に埃が払われている。
誰かの硬い靴底が、コンクリートの階段を叩いた。
コツ・・コツ・・・・・コツ・・・・。
地下へと下りゆく短い階段の先には、銀の文字に装飾されたプレートが埋め込まれた黒い木製の扉が待っている。
コンクリートと金属と機械の世界では決して味わえない古めかしさ。
其処には都会の雑踏を感じさせない・・・太古の森のような、穏やかで静謐な匂いが在る。
恐らくは人の手により作られたであろう、きめ細やかなプレートには流れるような銀色の文字で、
『SILVER MOON』
そう、あった。
ノブにはOPENの掛札。
・・・それは、思えばおかしな話だった。
そもそも、この街・・・特にこの地区ではつい先日、大規模な戦闘、戦争があったのだ。
傷痕も未だ癒えず・・・実の所、復旧の目処すら立っていない状況。そのおかげか街全体もぴりぴりと、不安に何処か落ち着きが無い。
そんな、人も街も、"安定した"未来の見えぬ最中に、暢気に酒など飲んでいる人間などが居るのだろうか・・?。
尤も、そんな中開いているこの店もかなり特殊と云えるだろうが・・・。
・・・・・・からん・・・
落ち着いた鐘の音と共に足を踏み入れ・・・サングラス越しにゆっくりと薄暗い店内を見渡す。
カウンターの向こうで白髪交じり、白髭を蓄えた初老のバーテンが黙々とグラスを磨いていた。
客は、奥のテーブルに若い二人。涼しげな格好でジョッキを傾けている。
カウンターにスーツ姿の二人。連れと言うわけではないのか、少し離れて座っている。
ちらりと、入ってきたばかりサングラスの男は腕時計に目を落とした。
これと云った特徴の無い、鈍く銀色に光るアナログの腕時計は21:52を示し、その秒針はかちかちと絶え間無く忙しなく時を刻んでいた。
――――――暫しの黙考。
後、サングラスの男はゆっくりと静かにカウンターの端に腰掛ける。
支えを失った扉がばたん、がちゃりと閉まり、来店を告げる小さな鐘の余韻が止むと、換気扇の小さな唸りとバーテンのグラスを磨くキュッキュッと言う音が奇妙なまでに耳につく。
「何にされます?」
バーテンはグラスを磨きながら視線すら向けず、深く静かに問かけてきた。
「任せる」
ただ一言、簡潔に言い放ち、碇ゲンドウはカウンターに肘をつく。
そして白い手袋に包まれた両手を口の前で組み、目を閉じゆっくりと深い息を吐いた。
先日届いた、古い古い知り合いからのメッセージ。
15年前に死んだ筈の、”絶対に生きてはいない”筈の男からのメッセージ。
しかしその内容は、当の本人等以外は決して知りえないもの。
15年前の、埋もれていた記憶の欠片。
よって、奇怪な報の真偽を確かめる術は彼・・・碇ゲンドウの他居らず・・・
彼は今、意を決し、息を殺し、ただ静かに―――――待っていた。
――――――時が動き出すのを―――。
NEON GENESIS EVANGERION
ANOTHR ONE
〜ヒトが人である為に〜
第4章
闇の中で時は巡る
第三新東京はそれ自体がネルフの所有物のような物である。その市政、管理、運営は、ネルフが誇るスーパーコンピューター『MAGI』に任されていると言って良い。一応、市政に関しては名目的に市議会なるモノは存在しているが、『MAGI』の迅速かつ的確な決定を承認するだけの”置物”と化しているのは明らかだった。警察も言わずもがな、NERVの介入にはYES以外の返答は出来やしない。結果、日本と言う国において第三新東京と言う市は碇ゲンドウを王とした、NERVと言う国民の為の全く別の”国”と言って良かった。
無論、国土に第三新東京と言う”穴”を開けられた日本政府が良い顔をする筈が無い・・・その上、”あちらさん”は国連直属と言う事で日本政府に命令権は無く、有事には”あちらさん”の命令は絶対優先と言う条件。そんな厄介者を腹の中に住まわせる事になった原因は、セカンドインパクト以降、NERV本部を抱えていると言うだけで”とある組織”から資金と物資が流れてくるからだった。日本のみならず、国と名のつくものは何処も疲弊し飢えていた時代。”モノ”自体が圧倒的に足らなかったその時代。その御陰でどれだけ国を建て直すのが早まった事か・・・・・・。
が、今になって・・その”契約”を交わした当時、誰もが高をくくっていた”有事”とやらに今更後悔しても、時既に遅し。悪魔かどうかは知らないが、交わした契約のツケは払わねばならぬ。日本政府直属の戦略自衛隊は被害甚大。おまけに次回出動はほぼ確定しているときている。逆恨みは当然のものか、彼等はNERVを毛嫌いしていた。
そして、ネルフは第三新東京。世間の嫌味を一身に受ける極道司令が城下町も実は又、あまり洒落で済まされぬ状況であったりした。
市全体を縦横無尽に走りぬけるケーブルは言わば血管、ネルフと云う名の心臓から送り出される電気と云う名の血液を運ぶ。そして神経、末端の異変は神経を通して速やかに『MAGI』と云う名の脳みそに伝えられ、脳みそはあらゆる事態に対して最も効率の良い行動を末端にとらせる。その警戒網に、穴は無い。
穴は無い・・・筈だったのだが、現実はそう巧くはいっていなかった。
末端・・・即ち、兵装ビルやその他諸々の無人防衛設備の配備が、当初予定されていたスケジュール通りに進んでいないのだ。それも、ネルフの本分である使徒殲滅に支障をきたすほどに。
そして今、不完全な迎撃要塞都市は不穏な雲に覆われていた。まるで、今宵”何か”がおきると暗示しているかのように・・・。
第三進東京市立、中央総合病院。
その、たった二人の患者の為に用意された、とある1フロアで、
セカンドチルドレン・惣流アスカとファーストチルドレン・綾波レイは直属の上司である作戦部長・葛城ミサトから今回の戦闘結果を聞かされていた。
葛城ミサトは持ち込んだ赤い無花果のNERVロゴ入りノートパソコンの電源を入れ、病室隅の接続端子とケーブルで繋ぐと、秘匿回線で赤木博士に一報・・・MAGI経由でとあるファイルにアクセスした。そして、ちょこんと座っている二人に真正面から向かい合う。今、表に出ているのは作戦部長の顔。
「良い?・・この映像記録の機密ランクは特A級、本来ならばあなた達に閲覧する権限はないし、外部からアクセスするなんてもっての外なんだけど・・・・あなた達は現場要員として知る権利があるわ・・・不足の事態にも迅速かつ円滑に対処する為にね?」
「ミサト、何が云いたいの?」
「・・・これから何があっても驚くな・・ってぇ事よ」
クエスチョンマークを浮かべるアスカの問に極めて真剣な顔で返す。
そのミサトの様子に只ならぬものを感じたのか、アスカも又、セカンドチルドレンの顔になる。
綾波レイは何時も通り、公も私もないファーストチルドレンの鉄面皮で静かに佇んでいた。
「二人とも、いい?」
その機能を失った、人造の灯火の替わりに辛うじてなる程度の、道端を薄く明らかにする程度の光を、僅かに欠けたとは云え、夜空の月は放っていた。
夜の闇に映える月明かりは、灰色の廃墟に絵画じみた白と黒の世界を創り上げる。
―――雲が流れる。
流れる雲は、変幻自在に光を遮り、絵画をより抽象的に彩る。
そしてその抽象画の世界に潜む、黒い黒い小さな影が一つ。
音もなく、猫のようなしなやかな身のこなしで、建物の影から影へと風のように移り住む。
そして、何かを警戒しているのか、壁を背にし、姿勢を低くし―――細い首と、唯一月光に青く反射する瞳を油断なく辺りに巡らしている。
倒壊し、不自然に歪んだ建造物の群の間を、生温い風が駆け抜けた。
・・・ぼぉぅ・・・・・・ぼおぅ・・・・・・
何か、巨大な獣のうめきのような音が反響する。
もしかすると、それは傷ついた都市が発する苦痛のうめきなのかも知れない。
――――そして影は、何かに感づいたのか―――ぴたりと―――その動きが止めた。
獲物に気付かれる前に、見つけ出す・・・叢に息を潜める肉食獣のように、五感の全てと、六感を駆使し、その”何か”を特定する。
ゆらりと・・・月明かりを遮っていた雲が流され、ホンの一瞬、月は影の姿を露にした。
―――一瞬の月明かりが地面に焼き付かせた陰影は、小柄な少女のものだった。
所々留め金のついた、光を全く弾かない漆黒の戦闘服に身を包み。
青い瞳以外を覆う、これまた漆黒のマスクが柔らかく照らす月光を全て飲み込む。
そして、細くくびれた腰の後ろの留め金に、大ぶりなナイフが一振り。
両の足首に投擲用の細長いナイフが2本ずつ。
――――流れる雲は、再び月を覆い尽くした。
そして再び、小さな影は動き出す。
だが、その様相は、之までのそれとは何処か違っていた。
言うなれば・・・獲物を探す肉食獣と、獲物を前にした肉食獣程度の差。
淡々と、確実に獲物に近づき・・・仕留める。
だが、獣と一線を画する事に、その一連の行為には、殺気、敵意と云ったモノは微塵も存在しなかった。
あたかもそれが日常であるかのように、単なる”作業”であるかのように。
影は”当たり前に”その行為を容認していた。
バッッ―――信じられぬ程、高く長い跳躍―――ビルからビルへ、滑りこむように、割れた窓から傾いたビルに侵入を果たす。
・
・
・
・
・
時は22:00を刻む頃。
廃墟の中、暗く蠢き、一点に終結する者達がいた。
彼等の風体は千差万別、少なくとも表通りを歩く上では誰もが気にも止めないだろう。年齢も統一されてはいない。
しかし、彼等が今その身に纏う殺伐とした雰囲気、鋭い眼光は彼等が”みてくれ”通りの人種で無い事を雄弁に語っている。
――――それは、当たり前に朽ち果てようとしている、とある雑居ビルの一階の光景。
ばこん
集まるや否や、歪んだロッカーを力任せにこじ開けて、都市迷彩とを施された迷彩服を取り出し、服の上からその身に纏う。
ばこん
別のロッカーがこじ開けられた。アサルトライフルを無造作に手に取り、その標準を微調整する。
ばこん
全員の手に暗視スコープが配られた。
皆が皆、がっしりとアサルトライフルをその手に構え、静かに時を伺う。
数人が窓際に張り付き、表通りに注意を払っている。
「分隊長・・・。目標が店に入りました」
「うむ・・・2215より作戦を開始する」
皆、戦闘服と暗視スコープを装備し、彼等を判別するのは体格と物腰程度しかない。
ある者の発した報告に、分隊長なる者が応じる。その声は微妙にしわがれていた。
静かに・・・そして、確実に高まっていく緊張。
その緊張に一石を投じたのは、来るべき時の到来ではなく・・・・・
縦横無尽に走る、数条の煌き。
シャッ!―――刹那の遅れで響く、斬音。
ある者が恐る恐る後ろを振り向いた。二階へと続く階段の前に佇むは・・・・・・小さな小さな、暗殺者。
ズ・・・!!
更に僅かな時を開けて、全てが”ずれた”
建物も、銃も、人間も、何もかも。
その視界に存在する、小さな影を除いた全ての物が、者が、一定の間隔を置いて”輪切り”にされたのだ。
ゆっくりとずれていく強化コンクリートの塊の中。
―――――小さな影の姿は既にそこになく――――
ずぅぅぅぅぅん・・・・
静かに重く、遠く、夜の闇を震わせて、
何処かで、建物の一つが崩れ落ちた。
その空間は、時間だけが、只々流れていた。
・・・カラ・・・ン・・・
ゴツゴツとした大きな手にすっぽりと収まったグラス。その中の氷がブランデーに溶かされ、耳に心地良い乾いた音を奏でた。
薄暗い光がグラスを照らし、黄金色の液体はゆらりゆらりと幻想的な色合いを醸し出す。
彼のその顔には、期待も失望も落胆の色も無い。能面のような無表情。
人数の割にはやたらと閑散とした雰囲気を禁じえない店内。その光源の乏しさから、色眼鏡の奥の黒瞳が何を訴えているのかを窺える者はいない。
時計の短針は、10の文字を越え、長針は6の文字に差しかかろうとしていた。
それを再び一瞥し、ぐっと、グラスを傾ける。
たん
ガラスが木製のカウンターを叩く、硬質な音。
項垂れ、『無駄な時間を過ごした・・』とばかりに、この店に入ってから始めて感情を伴った、酒気混じりの落胆の吐息が、髭に覆われた口から吐き出される。
アルコールの為か、身体に広がる痺れにも似た感覚に弛緩している四肢。そのまま何もするなと、怠惰を訴える本能の囁きを無視し、のそっ・・・席を立つ。キィ・・腰掛けていた椅子が小さく解放の音をあげた。
「勘定を・・・・」
「頂いております」
ぼそりと呟くようなゲンドウの問に、顔も向けずにぶっきらぼうに返すバーテン。誰に・・とは云われなかった。
その先の言葉は、無い。
ピシリと、空気が固まった。
客達の声も唐突に途切れる。
仕組まれたか・・・?
大小表裏を問わず、数々の組織、個人に、髭面の極悪司令と怖れられる『碇ゲンドウ』。
まるで他人事のように淡々と思考する。その根幹を成すのは疑心。それが今、盛大に危機を訴えている。
さて、それでも『この感覚も久々だ・・』と、浸る事が出来る碇ゲンドウ。やはり、それも酒の所為か・・・。
音も無く、カウンターのサラリーマン風の二人組が席を立ってゲンドウの前に進み出た。
片手はスーツの内ポケットに。もう片手で相方に合図を送り、体勢を低く、出入り口を兼ねている木の扉を慎重にくぐり、外の様子を窺う。
奥のテーブルに座り、談笑していた若者風の二人組がゲンドウとバーテンの間に割り込む。
彼等の手には黒光りする拳銃が握られており、その銃口の一方はしっかりとバーテンにポイントされていた。
・・・その彼等。
服装、年齢、印象は異なれど、その顔に人の良さそうな笑みを貼り付けていようと・・・ある意味、一様に同じ『匂い』を周囲に発散させていた。『暗い』、『人殺し』の香りを・・・。
所属は・・ネルフ諜報部特別班。ネルフの非合法的活動を一手に担う諜報部の中でも、更に選り抜かれた者達である。当然、その規模すら機密である諜報部以上の機密レベルを保持し、その実態は、本当にごく一部の・・・ネルフのトップ以下、数人以外知り得ないような、そんな機密を手にかけるゲンドウの私兵である。
ネルフ内の最も暗く、汚れた『真実』を知る者達であり、その具現者。
僅かな真実と共に彼等を知る大抵の人間は、軽蔑の念を込めてこう、称すだろう。
ゲンドウ個人に忠誠を誓った・・・魂までも売り渡した・・・『狗』・・・と。
彼等は一般人を装ってゲンドウの前に入店し、不測の事態に備え待機していたのだ。
敵対組織、人物が介入した場合、速やかにそれを"処理"するだろう。
「我々はネルフ諜報部の者だ。直ちに作業を止め、ゆっくりと両手を壁につけ」
警告の声が発せられた。ことり・・バーテンは磨きかけのグラスを置き、近くの壁に両手をつける・・その両の目は、何も語らない。己に銃口を向けている男の目を静かに見据えている。
必要以上の脅えも怖れも無い自然体。明らかに、非日常な状況に場慣れしている。
「背後関係が分かるまで拘束させて貰う」
極めて事務的な口調で続ける諜報部の男。もう一人の男がバーテンの背後に回った。
そんなやり取りを背中に感じながら・・・ゲンドウも又、木の扉を潜った。
・・・からん・・・
之まで通り、そして、之からも。
偽り続けられ、偽り続けてきた生を歩む、髭面司令。その生存本能に直結し過ぎた疑心の囁きが確信に変わったのは、直ぐの事だった。
危険を察知する”嗅覚”は即座に周囲の異常を嗅ぎ分ける。
今現在、ゲンドウに張り付くようにして周囲を警戒する二人と、地下に残ってバーテンを拘束している二人。
その彼等の他にも離れ、十重二重に総司令を護衛している筈の保安部、諜報部の猛者達の姿がないのだ。
身辺に張り付き、有事には肉の壁となる事をも躊躇しない保安部の黒服も、民間人の振りをしながら遠巻きに周囲に目を光らせる諜報部員も。
彼等が真に警戒すべきは総司令の暗殺及び、拉致である。
今彼等がいるこの区画は先日の戦闘でほぼ壊滅状態になっている。その為、元々完全とは云えなかったMAGIによる監視網には更なる隙間が出来ていた。そこに現れる総大将の首。
よって、腐るほど存在する敵対組織・・・・・・と言っても、あくまでそれ相応の”チカラ”、”組織力”を持っている・・・・・・の介入は充分に予想されていた。
ネルフ保安部、諜報部の面々はMAGI監視網の隙間を重点的に見張っていれば良い筈だった。後はMAGIが面倒を見ていてくれる。
ピッと、手の空いているほうの護衛が無線で同僚に確認を取る。そして何度か短縮を押した後、ゲンドウに向かって無言のまま首を振った。
正規の訓練を受け、曲がりなりにもプロでる人間・・・それも複数を、連絡の暇を与えず沈黙させられるものだろうか・・・? もしそれが出来るとしたら、その”敵”とネルフの間にはどの程度の戦力・・・いや、個々の戦闘能力の隔たりがあるのだろうか・・・?
この瞬間、無事ネルフ本部に戻れた時は真っ先に保安部、諜報部の面々に再訓練を命じようと碇ゲンドウが心に誓ったかは、また別のお話。
「・・碇ゲンドウ?」
唐突に、背後から誰何の声がかけられた。
振り向いた先には、この糞暑い御時世にも関わらず・・・之は諜報部の面々にもいえた事だが・・・ダークスーツにサングラスの男。当然ながら、ゲンドウ以下、諜報部員二人にも面識はない。
僅かに波打つ長い黒髪をうなじで一まとめにし、彫りの深い顔立ちに鋭角的なサングラスが乗っかっている。
じゃっ!――ゲンドウとダークスーツとの射線を遮る二つの影。それぞれの手に納められた拳銃は素早くダークスーツを捉える。
「・・・怖いねェ・・・・」
銃口とその持ち主を交互にねめつけ、おどける様にゆっくりと両手を上に挙げてあっさりと"降参"の意思を露にする。
二者を隔てる距離の程はだいたい10mだろうか、近過ぎず、遠すぎず、凡そ拳銃を使うには丁度良い距離。
「・・一応、俺ぁ、殺し合いしに来た訳じゃぁ無いんですがねぇ・・」
「周りに居た他の連中はどうした」
ダークスーツは両手を挙げたまま指先で二人を指し示した。
「そいつら・・と、下の二人以外のアンタの取り巻きは皆、持ち場でオネンネしてますよ・・」
「残念だが・・君には人質になってもらう。我々の安全が確保できるまでは、な・・」
「で、確保できたらできたで、次は拷問にでもかけるんで?」
その残酷な宣告に、ダークスーツは何処か惚けたような口調で返した。
ゲンドウの掛けているそれとは又、異なった、やや鋭角的なサングラスの向こうの視線は細められ、ゲンドウ達の後方、何処か遠くを見ているようでもある。
「何処から来たのか、聞くだけだ。君が協力的な限りは何もせんよ・・」
「成る程・・だけど、残念ながら俺を人質にしても意味はないよ・・・それに、こんな話を暇はないと思うがね・・・」
一区切りするダークスーツに、ゲンドウは無言で続きを促す。
「今、この街にゃぁ・・俺達が知ってるだけで12の組織が入り込んでる・・・表のツラは知らねぇが、裏じゃぁみんな、あんた等を煙たがってる連中ばかりだ・・・その中で、今回のアンタの”外出”・・・に気が付いたのが3つ。・・・んなヤツラが、こんな”美味しい”機会を見逃すとでも思ってんで?」
微動だにしないまま、外からは窺えぬ視線を油断なく周囲に巡らせる。
彼の感覚と経験は直ぐ近くまで危険が迫っている事を知らせていた。
「・・・ならば、お前は何だ」
「案内人だよ・・・・・・おい、お前等・・逃げたほうがいいぞ」
ドウッ!
彼の言葉の終わりと同時に、幾つかの出来事が連鎖的に起こった。
先ずはダークスーツが銃口を突き付けられているのにも関わらず、ゲンドウ等に正面から突進し、彼のその行動に反応した護衛の一人が銃を彼に向けて発砲した。
だが驚くべき事に、事が始まった次の瞬間にはダークスーツは既に、彼等の目の前に移動していたのだ。
ビデオのコマ送りのような、異様な光景だった。10m程の距離を地面を踏み切っただけで詰められる人間が存在するのだろうかと――護衛の男の思考は瞬間的にパニックに陥る。結果、タイミングを完全に逃した男の銃弾は明後日の方向に飛んでいってしまった。
もう一人の護衛が銃口を向けようとするが、彼もまた完全にタイミングを外している。今一度の銃声も、虚しく廃墟に木霊した。
一呼吸で間合を詰め、銃弾を避ける。二呼吸で護衛達の脇を抜け、男はゲンドウに肉薄し・・そのまま覆い被さるように押し倒した。
――――死と破壊を伴って、連鎖は続く。
パラパラパラと、廃ビルの一端から機関銃の掃射が行われたのだ。
「いってぇ!!!」
バスバスと、鈍い音を立てながら数発の鉛の塊がダークスーツの背中に食い込む。が、例え中に防弾ベスト辺りを着込んでいても無事では済まされない攻撃を受けたにもかかわらず、ダークスーツは停滞無い動きでゲンドウの首根っこを力強く引っ掴んで、近くの廃ビルの陰まで強引に引っ張りこんだ。
その点でゲンドウは、良い。しかし、残されたゲンドウの護衛二人は突然の襲撃に対応できないまま、銃弾の雨にその身を捧げさせていた。。
彼等にとって唯一幸運だったのは、位置関係上、掃射元とゲンドウとの中間にいた事だろう。御陰で彼等は最後の職務を果たす事が出来た・・・望む望まぬに、関わらず。
じゃこん
そんな無骨な音と共に、懐から取り出したハンドガンに弾を装填する。
「あ〜っ、畜生! やっぱり貧乏くじじゃねぇか! だから嫌だったんだ、むさい髭オヤジのエスコートなんざぁ・・・・・よっ!!」
背中に銃弾が食い込んでいるのか、歯を食いしばって激痛に耐え、洩れ出る悪態を止めようとせず、遮蔽物として機能しているビルの欠片の巨大なコンクリ片から腕と目を覗かせて、ぱんぱんと銃弾をばら撒く。
「お前は・・・」
何者だ?
「死にたくなかったら黙って身体動かしなっ!」
先の言葉は怒声と銃声に掻き消された。ゲンドウはダークスーツに再び服の端を捕まれ、引きずられるようにして廃ビルの間を駆ける。
再びの一斉掃射。
コンクリ片が銃弾の雨に端から削り取られ、その破片がゲンドウの頬を細かく浅く、傷つけた。
轟っ!!
新たな遮蔽に身を隠した直後、先程までいた物影にグレネードが打ち込まれた。
灼熱の炎がコンクリートを溶かし、爆圧でその破片が弾け飛ぶ。
その炎が、『敵』を照らす。
丁度、向かいの廃ビル3階に2人、機関銃( とグレネードランチャーを構えてる。そして、一階入り口からわらわらと、アサルトライフルで武装した十数人の男達が一斉に現れたのだ。
彼等の服装は皆、そこ等の民間人と変わらない。しかし、その機敏な動作は訓練された猟犬のものだ。散開し、遮蔽を利用しながら確実に間合を詰めて来る。
「なんてこった・・・まだ残ってたのかよ!」
悲鳴に近い愚痴が響いた。
暑苦しい上着を脱ぐ――所々穴が開き、僅かに血が滲んだ防弾・防刃ベストがその顔を覗かせた。
空になったマガジンを吐き出させ、新たな弾を補充する――小脇にゲンドウを庇いながら。
「・・・・・・・・・・・・!!」
絶え間ない銃声と爆音、肌を焼く炎熱の最中で、ネクタイの裏に仕込んだ集音マイクに向かって何かを叫んだ。
「・・・・畜生!・・ジャミングか!!」
雑音しか流れぬそれに悪態を付きつつ、白煙をなびかせながら放物線を描く小さな物体をその視界に捉えると、ゲンドウを路地の隅に荒々しく押し込み、己もまた避難した。
ゴッ!!
近くに再び、二発目のグレネードが打ち込まれた。轟音が嫌な具合に鼓膜を震わせる。
「クソが!・・連中、やり過ぎだってんだ!」
”敵”の、その余波で周囲のビルをも倒壊させかねない――後先を考えず、自分達の安全すら鑑みない攻撃に、ダークスーツ男。レオンは激しく毒づき、余りに割に合わぬこの仕事を持ちかけた葛城ハヤトを心の内で汚く罵った。
「何があった!?」
市外西区で戦闘が行われているとの報は、総司令が不在故に、冬月副司令に回ってきた。
「西区、B-12から14にかけて戦闘行動が報告されています。発生は10分前から」
その報告に、冬月は内心で激しく毒づく。
―――碇の護衛は一体何をやっている!?―――全滅したとでも云うのか―――?
「付近の保安部を鎮圧に向かわせろ、大至急だ!」
「り・・了解」
普段の静かな物腰とは全く正反対な副司令の剣幕に半ば圧倒されながらも、その直属の部下であるロンゲの青年は声を搾り出す。
その隣りでは、同僚である童顔のオペレーターが赤木博士の指示を受け、MAGIによる索敵と情報管制を行っていた。
「それと・・・葛城一尉を呼び戻してくれ」
言葉を発した後で己の剣幕気が付いたのか、次の命令は幾分感情が抑えられていた。
碇ゲンドウに死なれる事は、今のネルフにとって、あってはならぬ事だった。少なくとも、冬月はそう考えていた。その性格には確実に”難あり”の印が押されるが、ネルフの前身であるゲヒルン時代から今日にかけて、この都市を造って来たのはゲンドウであり、その手腕もさることながら、御上である妖怪爺から必要充分な予算をもぎ取れるのは彼の他いないという確信があった。
そして、冬月コウゾウその人にとっても、何時か分からない来る日まで、碇ゲンドウの存在は必須だった。
相手が相手だけに、極秘裏に事を進めようとした事が仇になったか・・・
だが―――だが、戦闘が継続中だと言うのなら―――。
それは果てしない希望的観測かも知れなかったが、冬月副司令は渦巻く不安の中で何処か”期待”している己を感じていた。期待の矛先は、葛城ハヤトと言う男・・・そしてその周囲のモノ達。”連中”が本当に噂通りのモノ達ならば、己の想像など簡単に裏切ってくれよう・・・と。
年甲斐もなく何を期待している・・・と、苦笑する。
だが、心なしか、内なる不安は幾分払拭されていた。
さて、次は後始末の準備か・・・。
・
・
・
・
・
「・・・了解しました。至急、本部に戻ります」
・・・険しい表情でミサトは携帯を切り、勢い良く身体ごと視線をスライドさせる。その先に呆然と佇むは、見た目対象的な二人の少女。
今、その少女達の瞳を捉えて離さないのは・・・困惑、それとも、恐怖だろうか。
惣流アスカのみならず、普段、何が在ろうとも平然と佇んでいた綾波レイまでもが、液晶ディスプレイに映された非現実の極北を行くかのような映像に圧倒されている。
「御免ねぇ・・急用できたから、あたし戻るわ」
未だそこに何かが映っているかの様に中空を見つめている二人の前で、がちゃがちゃと手早くもやかましい帰り支度をすると、葛城ミサトは颯爽と病室から出ていった。
「あ、そだ・・モチ、この事は他言無用よ?、じゃ、お休みぃ〜」
静かな病院にけたたましいパンプスの走音が鳴り響いた。間もなくして、窓の下で聞き覚えのあるモーター音が唸りを挙げ、あっという間に深夜の街に消えていった。
「状況はどうなっている」
ジャキッ・・グレネードの薬莢が特殊合金の筒から吐き出される。
リーダー格とおぼしき、スーツ姿の彼の後方、床に置いた通信機と格闘している”今時な”服装をした若い男が応えた。
「他の分隊との連絡は未だ繋げません・・・原因は以前として不明。目標は尚も逃走中、現在はポイントD-2・・・・・・・・なっ!!」
「どうした!」
振り向かずに怒鳴る。
両手は機械的に次弾を装填し、引き金を弾く。パウッ!―――拳銃やライフルとは違う、何処か軽い爆発音。
しゅるるるる―――白い煙を引きながら、スローモーションのように榴弾は物影に吸い込まれた。
ズンッ・・・・・・・!
火の粉が舞い、爆圧が渇いた大気と今にも倒壊しそうなビル自身を震わせる。
「情報局からの通信が・・・・途絶えました・・・」
「何だと!!」
ジャキッ・・再び吐き出される薬莢・・・ソレは綺麗な放物線を描き、爆風に煤けたリノリウムの床に向かって宙を流れた。
スーツの男が、振り向く。
「あ・・」
通信機を前にした年若い男の、何処か場違いな声が重った。
そしてスーツ姿の男は見る。
胸に細長い金属を生やした、己が部下の姿を。
歳若いその男は目を見開き、己の胸、心臓の位置から生えている針金を信じられないと言った眼差しで見つめていた。
己の命をさらいゆく死神への呪詛か、懇願か、その苦痛と恐怖に歪んだ口が紡ぐ言葉にならぬ言葉を最後に、その身体は生命の鼓動を永遠に停止した。
一瞬が永遠に引き伸ばされる感覚―――。
既に生無き有機物の塊は重力に身を任せ、前のめりに倒れる。同時に、空薬莢も床とキスをした。
チン・・・
ドサ・・・
小さく高く、ハッキリと耳に響く硬い音。
小さく低く、重く耳に圧し掛かる鈍い音。
「な・・・・・!」
驚愕が、男の反応を一瞬遅れさせる。
ズ・・・・!
何か、尖ったものが、真横から男の肋骨の間に差し込まれ、臓腑を抉った。
その"何か"が、鋭く尖ったナイフだという事に気が付いた時には、既に遅し。
肺を傷つけたのか、先の言葉は発せられず、呼気すらままならず。
流れ出る血液に反比例するかのように、急速に鈍くなる全身の感覚。
ガクガクと震える全身に残された"カス"のような力をかき集め、辛うじて首だけを動かす。
己に死を与えたのは、子供と見まごうような、小柄で華奢な体格をしていた。
ソレは己の役割に対する執念か、部下を殺したモノに対する憎悪か、
男は”何か”に駆り立てられるかのように、その小さな影のマスクを握り―――握ったまま、事切れた。
既に生命の息吹無く、肉の塊と化した屍が小さな影にもたれかかる。ずるり・・・と、そのまま力無く床に崩れ落ちた。
そして、その片手に固く握られたままのマスクを―――――剥ぎ取った。
長い長い金色の髪が舞う。
月光が、無表情な少女の顔を照らした。
・・・・・おかしい。
周囲は銃火と熱風が吹き荒れ、静謐なうる廃墟の夜は跡形も無い。
燃え盛る焔に踊る、影達の動きは何処か精彩を欠いて見えた。
「・・連携もとれていない・・・」
―――後方に何かあったのか―――それとも、罠か。
ドゥッ!―――放たれた銃弾の中の一発が、不用意に飛び出してきた男の足を捕えた。
「がっ」男はその衝撃で崩れ落ちる。
――残りは何人だろうか?
例え、連携がとられていなくても、数の上では向こうの方が圧倒的に有利だ。連度も決して悪くはない。加えて、こちらには碇ゲンドウというお荷物が居る。不利な状況山盛りな現状に
「ったく・・大体、護衛なんて俺の柄じゃねぇんだしよぉ・・」
愚痴りながらも両手を動かし、応戦する。
Pi
・・・と、彼の知らぬところでジャミングが解除されたのか、胸ポケットの通信機が反応を示した。
「・・・・はいよ・・・・・・・・・・・了解」
入ってきた通信に、しかめっ面だったレオンの顔に笑みが宿る。にぃっ
傍らにしゃがみ、無言のまま肩で息をしているゲンドウに声をかけた。
「オッサン・・・ずらかるぞ」
言葉の終わりと共に、彼は銃弾が飛び交う中であるにもかかわらず拳銃を仕舞い、両目を閉じる。
そしてゆっくりと、肺の中に溜まっていた空気を吐き出した。
「おい・・・」
その行動には流石のゲンドウもギョッとしたのか、不安げなうめきを洩らす。
目を瞑っていたのはほんの数秒だろうか、最も、銃弾の雨の中での無防備な数秒は数時間に匹敵するだろうが。
からり・・・と、レオンの背中に食い込んだ数発の銃弾がその身体から吐き出され、地面に落ちた。
「・・・・・・・・・よし」
開かれる両目。
不敵に歪む口元。
ざわり
見かけ上、何が変わったと言う事はない。だが、ゲンドウの本能は彼の変貌と危険性を訴えていた。
辺りは熱気に歪んでいると言うのに、酷い”寒気”を感じる。直ぐ側まで迫ってきている武装した殺戮のプロ達よりも、傍らのこの男の方が確実に”怖い”
それは生命体としての圧倒的上位者を前にした、生物としてのの本能だろうか?
その感覚を・・・ゲンドウは思い出していた。之と似た感覚は、以前にも感じた事がある。
規模こそは巨人と小人ほどの差があるが・・・15年前、今は失われし南極での、最初の使徒とのファーストコンタクト・・・
「よっと」
過去の記憶が紐解かれようとした、その瞬間。
ゲンドウの体はまるで荷物のように担ぎ上げられた。否応無しにその思考は中断される。
「舌、噛むなよ」
バウッ!
ダークスーツのレオンはゲンドウを肩に担いだまま、跳んだ。高く、高く。
重力の枷を物ともせず、まるでノミかバッタの如く。
・・・近くの廃ビルの屋上に、危なげなく着地した。急激に変化するGに、今や荷物と化しているゲンドウは歯を食いしばって耐える。
そしてそのまま、ビルからビルへ、月を背負い跳び去った。
・
・
・
・
・
「馬鹿な・・・」
呆けた声が炎熱に消える。
男達は呆然とした面持ちで、ターゲットが消えた方角を見つめていた。
一体何時、計画に歪みが生じたのだろうか。
特務機関ネルフ司令、碇ゲンドウ暗殺計画。
第三新東京を管理、守護するマザーコンピューター、MAGIの恩恵さえなければ、普段は不可能と云われているソレは可能である・・・。そう、彼等の上層部は判断した。障害として予定されているネルフ保安部、諜報部を制圧するに充分な装備と人員は、”今の”のこの第三新東京に入れるのは、そう難しい事ではない。事実、準備段階は完璧だった。
だが、蓋を開けて開けてみたらどうだろうか。
連携を取る筈だった別働隊と連絡はつかず、不可解な事にネルフ側の介入も無く。
結局、サポート抜きで彼等のチームのみが作戦に当たったわけだが・・・出て来たのは、目標である碇ゲンドウとその取り巻き、そして、得体の知れない男が一人。
あの男は・・・一体・・・。
「・・・ん?」
視界の淵、猛る焔に反射したのか、何かが光った。糸のように細く長い。炎に渦巻く大気の所為か、それは生き物のように揺らめいて見えた。ゆらりゆらりと、まるでかま首をもたげて獲物を狙う、狡猾な毒蛇のように。
「糸・・・?」
シャッ!
小さな小さな摩擦音を従えて、光る糸は彼等に襲い掛かった。幾重にも取り巻いたその”糸”の輪の内側に逃げ場は無い。
光る糸は、辺りに散らばるコンクリート片ごと彼等の肉体を輪切りにした。紙にハサミを入れるように、道端に咲く花を摘むように、無造作に彼等の命を
摘み取った。
どちゃりと、かつては人間であった有機物の塊が崩れ落ちた。
がしゃりと、今や彼等の遺品となったアサルトライフルが大地とキスをする。
「ごめんなさい・・・」
無機質な声が猛火に消えた。
声の主、光る糸の主が物陰から音も無く現れた。漆黒の戦闘服に身を包む、長い長い金髪の少女。指先から伸びる長い長い光る糸があたかも魔法のように手元に吸い込まれる。
少女の動かぬ表情と、感情の色薄い青い瞳からは何も読み取れない。だが、強く弱く、明るく暗く、万色に変化する炎に照らされ、灰に煤けたコンクリートの壁に投影された少女の影は、何処か哀しげだった。
「終わったか・・・」
ぼそりと呟くような、しかし良く通る低い男の声が、少女の小さな耳を打つ。殺戮を終えた小さな少女に反応はない。
カツカツと、地下の酒場への階段の入り口から、ネルフ諜報部員を二人、両肩に背負った初老のバーテンが現れた。大の男を二人担いでいるにもかかわらず、その足取りに遅延は無い。
「・・・また、人を殺めました・・・・・・何十人と」
「そうか」
俯いて、ポツリと洩らす少女に、男は岩の様な硬い声で返す。
「なのに・・・・・・なのに、何も感じないんです。・・・私・・・壊れてますね・・・」
顔ははにかんだ微笑みを、口調は今にも泣き出しそうな赤子の様。
「もう、行け・・・・・・後始末はしておく」
男は両肩の二人をどさりと地面に下ろす。微かに上下する胸、恐らくは気絶しているのだろう。
「はい・・・」
生返事を返し、何時かセーラと呼ばれた少女は闇に溶け消えた。
・・・・・・何時の間にか、雲は行き過ぎ、空にはひとつ・・・ぽつんと月が灯っていた。
第三新東京の夜の一角を彩っていた赤黒い炎は薄れ、夜は再び静寂に包まれようとしていた。
その郊外、夜の高台に佇む男が二人。煤けた白いシャツもそのままに、レオンはタバコを咥えて転落防止の柵に全体重を預け、オペラグラスで先程まで自分達が居た赤い街並みを眺めている。碇ゲンドウは背中を彼に向け、俯き気味にベンチに腰掛けていた。
「・・・質問がある」
「なんスか?」
ぽつりと洩らしたゲンドウに、レオンはくるりと反転し、皮肉げな笑みをゲンドウの背中に向けた。
「・・・お前は・・・いや、お前達は・・・何者だ」
「お前達・・・ね、そこそこ情報は掴んでんだ」
「答えろ」
「別に、何者でもないさ・・・他称、過去の亡霊ってんじゃ、駄目?」
「からかっているのか?」
「まっさか、本気ですよ、ホ・ン・キ。まぁ・・・実際、その表現が一番的を得ていると思うがね・・・」
おどけた調子で追求の手から逃れ続ける。
「・・・お前は、あの女と同類か?」
「あの女?」
「知っているのだろう・・先の使徒戦で「ああ、サキエル殿か」
「・・・サキエルだと?」
「あぁ・・・ついでに云っとくと、俺ぁ、あんたと同じ人間だよっ・・・と」
「その言葉を信じろと云うのか」
疑念の篭った言葉を吐くゲンドウの隣りを静かに横切り、階段に向かうレオンの影。
その背中を僅かに丸め、両手はポケットに納められている。咥えられたタバコの紫煙が夜空に消える。
「信じる信じないはアンタの自由だよっ・・・と、依頼人( のお出ましだ。俺の仕事はここまで・・・。聞きたい事は、葛城の旦那に聞いて下さいや。
そんじゃまぁ、御二方、俺ぁ・・先に失礼させてもらいますよ・・・」
のらりくらりとした言葉を置き去りに、その男の気配はゆっくりと遠のいていく。
そしてのそりと顔を上げた、ゲンドウの視線の先、高台の出入り口である階段を昇ったところに新たな人影が一つ。今しがた降りていったレオンのものとは、又、違う。
月明かりを背負っており、その顔は見えない。
「例え、それがお前の私兵であろうと・・・今はまだ、お前以外の人間に話せる内容ではないんでな・・・回りくどい真似をさせた。すまない・・・」
その声は15年の昔、確かに聞いた声だった。
「生きて・・・いたのか・・・」
「ああ・・・」
「15年か・・・」
「・・・そうだな・・・」
その中身を15年の昔に置き忘れたかのような、何処か心ここに在らずといった言葉が、僅かな沈黙を挟んで交わされる。
「・・・お前には、色々と聞きたい事がある・・・」
「旧友との再開を喜ぶ言葉は無し・・・か。相変わらずの独善者ぶりだな」
声には出さず、影は気配で苦笑した。
「旧友・・・か。お前を・・・あの時南極にいた全ての人間を見捨て・・・一人助かった私を・・・お前は友と言うのか」
今も尚、友と思われていた事に戸惑っているのか、
「ああ・・・・・・あの時、あそこにいた連中は皆死んでしまったが・・・ミサトだけでも助けられたのはお前の御陰だよ・・・」
「あの時、お前がアレを渡さなければ、そんな酔狂な真似はしなかった・・・・・・それでもか」
「ああ・・・・・」
「・・・・・・・・・下らん」
ゆっくりとかぶりを振るゲンドウに、旧友の影は苦笑の気配もそのままに歩み寄る。
かつりかつりと、一歩づつ、二者の凡そ中間にある街灯の灯りが、彼のつま先から舐めるように影を照らし出す。
そして、その顔が明らかになる。ゲンドウが息を飲むのがはっきりと耳に聞こえた。サングラスの向こうの黒い瞳は、さぞや大きく見開かれている事だろう。
確かに、それこそ疑念の余地など無いほどに、その男はゲンドウが15年前に言葉を交わした男。葛城ハヤトだったのだ。
ただ、その姿は若かりし15年前の姿、そのままであったが・・・。
「聞きたい事が一つ増えた・・・な」
30半ばほどの外見とは裏腹に、深い闇色の瞳は老成した光を湛えている。
露になった唇を歪ませて再度、苦笑した。
「さて・・・今、ネルフが置かれている状況は勝手に調べさせて貰った・・・・・・こちらには極少数だが、優秀な人間を回す用意があるが・・・・・・要るか?」
「要らん・・・信用できるものか・・・」
欠片の迷いも存在しない即断に、変わっていないと三度苦笑する。
「だろうな・・・だが、悪いようにはしない。それが”約束”だっただろう・・・? 裏切ったりはしないさ・・」
「・・・そんな事をして、お前達に何のメリットがある・・・」
「『使徒殲滅』は、俺達にとっても最重要課題の一つだからだよ・・・」
「・・・その先に何が計画されているか、知った上でその言葉が吐けるのか・・・?。
・・・・・・お前達は、何者だ。・・・本当に・・人間・・・・・・か?」
レオンと名乗る男が見せた非人間的とも云える身体能力は、今もゲンドウの目蓋に妬き付いている。
「・・・その質問に答える前に、合って貰わなければならない人物がいる。俺達の・・・指導者と言うか、まぁ、リーダーだ」
「何故その必要がある」
「知って貰わなければならないのさ・・・お前達が使徒呼んでいるモノが何なのか。何故、生み出されたか。そして、今この世界に何が起こっているのかを・・・。不思議に思わなかったか?、第3使徒が、文書の記述より遥かに強かった事を。・・・・・・それを知れば、分かるだろうよ・・・何故、死んだ人間である俺がこの場に立っているのか・・・・・・それと、この姿もな・・・」
半身をずらす葛城ハヤト。その先には何時の間にか、一人の青年が現れていた。
年は20は越えているだろう・・・日本人だろうか、やや女性的な容姿に、ハヤトとは正反対の柔らかそうな黒髪と黒い瞳が印象的だ。
「始めまして、碇司令」
再び、今度はゆっくりと大きく見開かれるゲンドウの眼。
紐解かれるは、記憶の扉。青年に感じた既視感はより鮮明に、明確に、ある人物と重なった。
「・・・・・・ユイ?・・・いや・・・お前は・・・!」
「ねぇ・・・ファースト・・・起きてる・・・?」
「・・・」
夜半も過ぎようという時刻。
自分の病室に戻る気力も失せたのか、惣流アスカは綾波レイの病室で夜を明かしていた。
幸い、本来4人部屋である部屋は3つのベッドが空いており、レイ本人も何ら咎め様とはしなかったのでアスカは彼女隣りのベッドで仰向けになっていた。
涼しげな夜風に白いカーテンは揺れ、開けっぱなしの窓から差し込む柔らかな月光が二人の少女の顔を撫でる。
之まで誇りだった・・・いや、今でも誇りである事に変わりはないが、新たに芽生えた感情が心を絡め取って、離さない。それは即ち、エヴァへの恐怖。愛機である真紅のエヴァンゲリオンが、恐ろしい。その本性、残虐で獰猛なる獣性が。
汎用人型決戦兵器・・・人造人間エヴァンゲリオン。その名が指し示す通り、エヴァとは単なる機械ではない・・・が、自我を持った生き物でもない・・・そう、思っていた。パイロットであるチルドレンの思考をトレースし、自在に動く巨大な操り人形・・・それが惣流アスカの認識だった。
そして、その認識は木っ端微塵に砕かれた。彼女自身が知らなかった、真紅の人形の本性に。
恐怖が心臓を鷲掴みにし、鼓動を加速させる。
不安が意識を絡め取り、眠りへと逃げる事を許さない。
アタシは、これまで通り弐号機に乗る事ができるんだろうか・・・怖れる事無く・・・・・・
「・・・・・・起きてる?」
「・・・・・・ええ・・・」
・・・・・・・・・無理だ。
あんなモノを見てしまった後では、これまで通りに乗るなんて出来やしない。
―――出来そうもない。
「アンタ・・・何でエヴァに乗ってんの・・・?」
「・・・・・・・・・絆だから・・・」
「・・・・・・そう・・・」
心を置き忘れ、半ば無意識のうちに桜色の唇から洩れた問に返って来たのは、同じく心を置き忘れた応えだった。
そして、奇妙な沈黙は続く。
両者共に思考の海に浸っているのか、普段の彼女を知る者には珍しく、惣流アスカは静かに黙し。綾波レイは何時もの事か、何一つ語らず、何を考えているのかも分からず。されど、沈黙の間に流れる空気に不自然な緊張はなく。
己を詮索しようとしない綾波レイの無関心が、今の惣流アスカには心地良くすらあった。
「ファースト・・・アンタ・・・怖くない?」
ポツリ・・・と洩らしたその言葉は見栄に彩られる前の本音だろうか、数瞬後、”うつつ”から我に返った惣流アスカは「しまった」と激しく後悔した。これでは、自分は怖いと云っているようなものではないか・・・。
「・・・何が・・・?」
無垢であるとも無関心であるとも取れる、良くも悪くも”ドロドロとした”人間的な感情とは無縁な綾波レイのその声に、惣流アスカは心の内でほっと一息。
そして、どの程度まで”お話”するか、出来るか推し量る。己を低く見られぬように、そして聞きたい事を聞きだせるように・・・・・・・・・・・・やめた。何故だかは分からない。ただ、之まで当たり前のようにしてきたこの考えが急に馬鹿らしくなったのだ・・・・・・・・・何故だろう?
何時からだろうか、もやもやドロドロとした霧が晴れたような、いや、晴れてはいないが薄くなったような・・・そうだ、あのクソ生意気な鴉の夢を見てからだ。
・・・・・・・・・・・・夢?
そんな事をベッドの上で考えながら腕を組み、右へ左へゴロンゴロンと思案顔で転がっていると、ふと綾波レイに聞き返された事を思い出す。
思い出して対面の綾波レイのベッドを向くと・・・・・・奇妙な生き物を見るかのような、普段の鉄面皮と比べるとやたらと愛嬌のある顔をした綾波レイ本人の視線と鉢合わせした。
――――――気まずい沈黙とはこういう事を云うのであろうか――――――
「えと・・そうよ、エヴァよエヴァ!・・・あんなの見て、エヴァが怖くならないかって聞いたのよ!」
心の内でもちろん私は怖くない、怖くないと、呪文のように唱えながら、顔を真っ赤にして取り繕うようにまくし立てる―――――――綾波レイに背を向けて。
思い切り気が動転していたのか、その言葉も全くの本音だった。
「・・・・・・ならないわ」
「どうして!?」
がばっ、上体を勢い良く起こし、納得の行かない顔で問い詰める。
綾波レイは既に普段の鉄面皮。仰向けに寝転び、真っ赤だけアスカに向けていた。
「・・・・・何故、怖いの?」
・・・返って来たのは静かな静かな問だった。
「それは・・・だって・・・」
「エヴァは生きているわ・・・魂だってある・・・」
その生きている・・・と言うのは、人造人間・・つまりは生体部品を使用している・・・という事とイコールではあるまい。魂を持つ・・・と言うのは、自我を持った一個の生命体であると云う事か。では、今自分達が動かしているエヴァンゲリオンは何らかの手段で意思を封じられているのだろうか。だとしたら、あの悪魔のような姿がエヴァの本性なのだろうか・・・・・・。
・・・そもそも、自分と同じ一介のパイロットある筈のファーストチルドレンが何故そんな事まで知っているのだろう・・・・・・
横を向くと、綾波レイはベッドに仰向けになったまま、変わらぬ顔で中空を見つめ続けてていた。ボーっとしているようでいて、その奥底では深い深い議論が交わされているのではないかと、馬鹿馬鹿しい錯覚に囚われる。実際、アスカに問うていてながら、その事に何ら関心があるとは思えない。
・・・・・・変なヤツ・・・
と言うファーストチルドレンに対する印象を益々強くしたセカンドチルドレンは、再度思考の海にダイブし・・・・・・何時しか、知らず知らずの内に眠っていった・・・。
長い夜はゆっくりと白み、明けてゆく・・・。
そして二つの巨大な意思は巡り合い
沢山の小さな意思を飲み込みながら
罪悪の過去、希望の未来を飲み込みながら
夜空の星々、浜辺の砂程の命を飲み込みながら
大きく太く、成長しながら
定められた終焉に向かって加速する
何時か、袂を別つその日まで
全ては・・・そう・・・
「何があった・・・碇!」
保安部が戦闘区域に突入してより、6時間後。今や夜も明けようという頃になって、ようやく碇ゲンドウは秘匿回線で冬月コウゾウと連絡をとっていた。
護衛だった保安部及び諜報部が全て無力化され、身元不明な死体が数多く存在していた戦闘区域。使徒による大破壊の後、猛火に見舞われた第三新東京西区に碇ゲンドウ総司令の姿はなかった。鎮圧、鎮火の名を借りた大捜索・・・救命活動は夜を徹して行われ、同時刻に第三新東京から出た車両も大至急設置された検問により全てチェックされた。表向きは前者は救助、後者は残存テロリストの発見と銘打たれてはいたが、実際は碇ゲンドウ捜索劇であったことは云うまでも無い。
そうまでして見つからなかった総司令がようやく見つかったのだ。その時の冬月副司令の安堵は如何程のものだっただろうか、押して知るべし。不眠不休で働き詰めたミサト、リツコ、以下ネルフスタッフの苦労も又、押して知るべし。
「冬月先生・・・」
何時もの悪い意味で世に名立たる極悪極道司令はそこに居なかった。居るのはただ、現実に翻弄される一人の人間。
碇ゲンドウと言う男の、こんなにも気弱な声を聞くのは何時以来だろうか?・・・冬月の冷静な部分が囁く。・・・そう、それは彼の最愛の妻であり、唯一人の理解者、碇ユイがいなくなった時以来ではなかろうか・・・。
「碇!・・どうした!・・・碇!!」
「冬月先生・・・私は一体・・・どうしたら良いんでしょうか・・・」
驚愕と迷い、そして僅かな絶望の混じった、その言葉。
古い旧友とその連れは、つい先程この街を去った。
だが、その置き土産・・・『運命』とも云うべき避け様の無い現実がゲンドウを縛り付けて、放さない。
東の彼方からひょっこりと顔を覗かせる太陽も、清々しい朝の空気も、”ソレ”を拭い去るには圧倒的に至らなかった。
冬月は叱咤する他、己の成すべき行動を見出せなかった。
今は、まだ。
そして運命は新たな魂を絡め捕り・・・。
鐘はようやく、鳴り終えた。
to be continued
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